相手のご機嫌を伺いながら心にもないことを喋ったり、
相手に言いたい事が言えなかったり、人と接するのが苦手、表現できずに孤立……
そんな関係や自分を変えたいと思っても堂々巡り。
こんな人間関係の悩みは、全部悪霊が作り出した「脳心」から発生しています。
人間関係に泣き寝入りする前に、こちらをご一読ください。
秘儀・脳心メルトダウン
呪って何が悪い?

まず、
「呪うことの何が悪なのか?」
という、呪いというものに対して根本から問おう。
一般的に呪い=マイナスであると捉えられる。
まずはこの呪い観を否定するところから始める必要がある。
呪いは手段であり、目的ではない。
ところが、浅はかな者共は「やり方」しか見ない。
やり方、やり方と繰り返される。
しかし、いかに文句や文言で是非を並べようとも、目的が手前の利益だけであれば
ただの偽善である。
よく、非を正すなら「口で言えばいい」とか言われる。
阿呆か。
言わなかった者が悪いなどあり得ない。
非を行った者が悪い。
これは一見素晴らしい話に見える。実はそれこそ口だけの話なのだ。
まさしく、その報復の「やり方」まで強制するな!!
クソ偽善者が!
目的が何か。
道徳は、目的が非を正す為であっても「やり方」だけでしか見られない。
結果、目的は自己保身・自己利益にあっても、やり方が狡猾な者が勝つ様に出来ている。
どんな場面においても。大小もなく。
理不尽に潰され泣くのはいつも正しいものなのだ。
呪いの力はここから
| 呪い
呪いは最後の正義の手段
「呪い」にかけられた不名誉なイメージはここからである。
やり方しか見ない道徳家=その実ただの偽善者は、
呪い=マイナスであるという固定観念を植え込む事で、
都合のいい自分=善である、という偽善を守ろうとしてきた。
義しく理不尽に潰された者は、その狭間で、
呪うというマイナスを心に抱えることが悪いのだ、という
呪う事へのこのような苦悶を繰り替えした、呪いで逆に苦しんで来た。
呪い=悪であると観念で定義付けることで、
呪いを受ける事を恐れた偽善者どもは「力」を封じ込めたのである。
その上、浅はかな者共は、
その自分に何かされると、つまらん理由で平気で逆恨みする。
自身に非があれば危害が加えられて当然である。因果応報・自業自得である。
しかし、自身に正当な危害が加えられたとしても、それを悪と定義付ける事で
このただの逆恨み=正義であると定義付けたのである。
つまりは我を張り通せば勝ち、としか言いようが無い。
ならば、結論は
「呪って何が悪い?」である。
理不尽に潰されたことへの呪いは正義なのである。
呪いは最後の正義の手段なのである。
呪いの力はここから
やり方しか見ない道徳家=その実ただの偽善者は、
呪い=マイナスであるという固定観念を植え込む事で、
都合のいい自分=善である、という偽善を守ろうとしてきた。
義しく理不尽に潰された者は、その狭間で、
呪うというマイナスを心に抱えることが悪いのだ、という
呪う事へのこのような苦悶を繰り替えした、呪いで逆に苦しんで来た。
呪い=悪であると観念で定義付けることで、
呪いを受ける事を恐れた偽善者どもは「力」を封じ込めたのである。
その上、浅はかな者共は、
その自分に何かされると、つまらん理由で平気で逆恨みする。
自身に非があれば危害が加えられて当然である。因果応報・自業自得である。
しかし、自身に正当な危害が加えられたとしても、それを悪と定義付ける事で
このただの逆恨み=正義であると定義付けたのである。
つまりは我を張り通せば勝ち、としか言いようが無い。
ならば、結論は
「呪って何が悪い?」である。
理不尽に潰されたことへの呪いは正義なのである。
呪いは最後の正義の手段なのである。
呪いの力はここから
| 呪い
呪いこそ反撃の力
文句を言う前に、嘆く前に、まずは我を張り通せば勝ち、という
この現実を受け止めてみよう。
そして、「呪うこと」それ自体が問題ではない。
ならば次にくるのは何か。
悪いのは、間違っているにも関わらずそれを「正当化」している方である。
老若男女問わず、悪いものは悪い。
ならば、力のあるものであれば殴れば良いのではないか。
叩きのめせばいいのではないか。
しかし殴ったら、是非はなくともそれは暴力とされる。
「殴った方が悪い」と一方的に定義付けられるのである。
特に非を行ったのが女性の場合、「女だから」殴っただけで殴った方が悪とされる。
非常に陰湿である。
要するに、自分を正当化することができない者は、
殴られ続ける様にできているのである。
是非の本質から言えば到底理解しがたい話ではあるが、
これが現実。
ではその反撃の力はどうすればいいのか?
呪いこそがその力なのである。
呪いの力はここから
この現実を受け止めてみよう。
そして、「呪うこと」それ自体が問題ではない。
ならば次にくるのは何か。
悪いのは、間違っているにも関わらずそれを「正当化」している方である。
老若男女問わず、悪いものは悪い。
ならば、力のあるものであれば殴れば良いのではないか。
叩きのめせばいいのではないか。
しかし殴ったら、是非はなくともそれは暴力とされる。
「殴った方が悪い」と一方的に定義付けられるのである。
特に非を行ったのが女性の場合、「女だから」殴っただけで殴った方が悪とされる。
非常に陰湿である。
要するに、自分を正当化することができない者は、
殴られ続ける様にできているのである。
是非の本質から言えば到底理解しがたい話ではあるが、
これが現実。
ではその反撃の力はどうすればいいのか?
呪いこそがその力なのである。
呪いの力はここから
| 呪い
偽善者こそ呪うべき対象
自身の陰湿を隠すため綺麗ごとしか見ない偽善者がもっともタチが悪い。
貴様は全てが善100%で構成されているのか?
貴様の中には怒りは存在しないのか?
決定的な論点は、「是非」である。
目的と手段があり、
手段だけどうこう言われるのは、まこと浅はかな論としか言いようが無い。
やり方がキレイで目的はただ我がままを通すだけ、という。
しかし、その「やり方」の部分だけ変えれば反響は全く変わる。
非常にむなしい。
自分の利益の為、を綺麗ごとで言い換え他人に行動を制限してくるのが偽善者なのだ。
この理不尽な、陰湿なものへの、やるかたない怒り。
これが呪いの本質ではないのであろうか。
その呪いを否定するのは、自身の義を否定することに繋がる。
呪いの力はここから
貴様は全てが善100%で構成されているのか?
貴様の中には怒りは存在しないのか?
決定的な論点は、「是非」である。
目的と手段があり、
手段だけどうこう言われるのは、まこと浅はかな論としか言いようが無い。
やり方がキレイで目的はただ我がままを通すだけ、という。
しかし、その「やり方」の部分だけ変えれば反響は全く変わる。
非常にむなしい。
自分の利益の為、を綺麗ごとで言い換え他人に行動を制限してくるのが偽善者なのだ。
この理不尽な、陰湿なものへの、やるかたない怒り。
これが呪いの本質ではないのであろうか。
その呪いを否定するのは、自身の義を否定することに繋がる。
呪いの力はここから
| 呪い


